360度自由に見回せる仮想空間――そのただなかに入って、作られた世界を体感できるVR。
2016年に「元年」を迎えたこの新しいテクノロジーは、すでにさまざまな分野で、僕たちに驚異を味わわせてくれている。
あるゲーム会社は、チェルノブイリ原発事故によって「ゾーン」という名称で呼ばれることになったエリアを探検できるVRコンテンツを開発した。
アメリカの大新聞社ニューヨークタイムズは、今日この日も世界情勢を360度動画で伝える「The Daily 360」という取り組みを行っている――国内のほのぼのニュースから予断を許さない中東の内戦まで、さまざまな世界の出来事を没入感あふれる動画で伝えてくれる。
僕たちはVRによって、まるでSF映画の登場人物のように、さまざまな“ここじゃないどこか”へ行けるようになったのだ――視覚的な体験を通して、360度撮影が可能な場所なら、どんな場所でも体験できるようになったのである。
さて、そんなSF的世界がさらに加速している、というニュースを今回はお届けしよう。
或る視覚効果アーティストの頭のなかを体験できるVRコンテンツ――字面だけではちょっとピンと来ないかもしれないが、そのようなコンテンツが発表されたのである。
その視覚効果アーティストとは、ハリウッドで活躍しているケヴィン・スコット・マックという人物だ。
彼は1998年、ともに仕事をしたスタッフたちとともにアカデミー視覚効果賞を獲得した。当時、視覚効果の分野では業界で群をぬいていたデジタルドメインという会社の一員として、『奇蹟の輝き』の視覚効果を担当したのである。
『奇蹟の輝き』は天国と地獄を舞台にしたファンタジーで、特に天国を印象派の絵画のような美しいタッチで描写した視覚効果のチカラが評価された。
そのほか、ケヴィンが視覚効果マンとして参加した作品としては『ファイト・クラブ』(1999)などが挙げられる。
“暴力的な映画”を支えたケヴィンの視覚効果
1999年のアメリカ映画『ファイト・クラブ』は監督をつとめたデヴィッド・フィンチャー、主演のブラッド・ピットにとっては出世作のひとつである。
不眠症に悩むある男(演:エドワード・ノートン)がある日、偶然出会ったのはタイラー・ダーデン(演:ブラピ)という謎めいた男。過激なカリスマ性を持つタイラーは主人公と組み、現代社会に虐げられた男性が拳を使った戦いで誇りを取り戻すことを目的とする地下組織「ファイト・クラブ」を結成するが、やがてクラブとタイラーの思想がエスカレートしていき……という映画だ。
ブルース・ウィリスの『ダイ・ハード』(1988)やアーノルド・シュワルツェネッガーの『コマンドー』(1985)に比べれば死者の数が圧倒的に少ないのに、ある評論家先生からは「暴力的すぎる」との評価をもらい、お子様お断りの「PG-12」というレーティングで公開されたという伝説を持つ作品である。
映画『ファイト・クラブ』の暴力性は作品中で人が死ぬか否かということではない。
全編にちりばめられたアナーキーな視覚効果も相まって迫ってくる、強烈な破壊願望のようなものだ。
タイラー・ダーデンは現代の“物質主義”を徹底的に否定する“革命家”だが、新しい世界のカタチを提示することなくただひたすら今ある世界の破壊に邁進するのだ。
映画の途中で地下組織は「ファイト・クラブ」から「プロジェクト・メイヘム(Project Mayhem)」へと名称を変更する。「プロジェクト・メイヘム」は、直訳すると「騒乱計画」である。過激に大騒ぎしてすべてを破壊すること――それがこの映画の思想であり、真に“暴力的”な部分なのだ。
そして上にも書いたように、ケヴィンが関わったCGIを使った視覚効果が、映画の暴力的な思想を抽象的に、しかし具体的な不気味さと圧倒的な強さをもって伝えるのである――『ファイト・クラブ』とはそんな映画だった。
まるで『ファイト・クラブ』のタイトルシーン!夢幻的な世界にダイブできる『Blortasia』
VRコンテンツ『Blortasia』は、さまざまな彩りのグニャグニャ模様の物体が浮遊する空間を突き抜けていく――という内容のVRコンテンツだ。
始まりも終わりもない、ただただ色彩と物体の無秩序なグニャグニャが周囲360度に広がっている。
そんな世界を描いたコンテンツである。
まるでこのコンテンツは、ケヴィンがハリウッドで1999年に手がけた『ファイト・クラブ』のオープニングシーンのようだ。
映画のオープニングシーン――タイトルやキャスト、スタッフの名前が次々に出る冒頭のシークエンスは、ザ・ダスト・ブラザーズのまがまがしいロックサウンドにのせて、CGIで再現された人間の脳細胞から出発して皮膚の表面にいたるまでの道のりが描かれるというかなりアナーキーな内容のものだった。
不穏で、いかにもこれから始まる物語がヤバいものになることが予感できるようなオープニングだった。
『Blortasia』は、あのオープニングシーンがさらに進化したような内容のVRコンテンツだ――が、不思議とあのまがまがしさはない。
実はケヴィンは今回、『Blortasia』を制作するにあたって“癒し”の効果を狙ったとのことである。
無秩序に色とカタチが氾濫する内容は、人の精神を落ち着かせる配色、造形で作られているのである。
ケヴィン・スコット・マックは、本人が語るところによればまさに『Blortasia』のような情景を頭のなかに常に描いているのだという。
彼には、世界が無秩序でまがまがしさと癒しに満ちた色とカタチで見えるのだという。
そういう意味で、『Blortasia』はまさに彼の頭のなかを体感できるVRコンテンツなのである。