今ここにいながら、さまざまな仮想空間を体験できるテクノロジー、VR。
教育や医療などのあり方を大きく変えると言われているけれど、特に僕が興味を持つのはエンターテインメント分野での活用だ。
VRゲームは、仮想空間のなかで、まるで自分が伝説の暗殺者やゾンビハンターになったような感覚を味わうことができる。究極のFPSゲームが、続々と生まれつつある。鳥になってバランスを取りながら空を飛んでみたり、リアル感たっぷりの「脱出ゲーム」を楽しんだりすることもできる。
ジェダイの騎士になってライトセーバーを振り回したり、バットマンになって夜のゴッサムシティを駆け抜けたり、ゴジラが破壊する街を逃げ回ってみたり、映画少年が夢に見ることが次々と実現している。
チェルノブイリ事故で立ち入り禁止になった区域を自由に見て回ることができる。
アメリカの新聞社NYタイムスが毎日更新している「The Day 360」で、世界じゅうで起こる出来事に立ち会う気分も味わえる。
写真やテレビのニュース映像より、もっと切実に世界の問題を感じることができる。
VRは、人の心を大きく揺り動かす――「見る」ではなく「体験させる」ことによって。
今回の主人公は、そのことを自身の作品づくりに取り入れ、次世代のストーリーテリングを模索するひとりの映像作家である。
彼の名前はクリス・ミルク。
VRコンテンツの制作を行うかたわら、制作会社Withinを創立している。
“VR映画作家”クリス・ミルクの仕事
クリス・ミルクは2017年1月現在、夏に公開予定の『猿の惑星:大戦記〈グレート・ウォー〉』のVRコンテンツの制作に携わることが決まっている。
また、独創的なMVや映画の監督として知られるスパイク・ジョーンズのプロデュースのもと、オリジナルVR映画『I Remember You(仮題)』を監督することも決定した。
クリス・ミルクは数年前からすでにVRを映像に取り込み、「新しいストーリーテリング」の可能性を模索していた。
2015年には、前年に制作されたVRドキュメンタリー『シードラの上の雲』を発表している。
この作品は、中東のヨルダンにあるシリア人難民キャンプに住む12歳の少女シードラの生活を追ったもので、その年の1月にスイスで開催された世界経済フォーラムで「上映」された。
「フォーラムに参加した各国の政治家、大企業の社長たちはその瞬間、ヨルダンの難民キャンプにいた」と、クリス・ミルクは言う。
その場に「いる」こと――難民キャンプに、サルに支配されつつある地球に、あるいは別のどこかに。そしてそこにある物語を僕たち自身が体感すること。そこから、究極の感情移入を追求したいとミルクは語る。
「VRには、(人の心を揺り動かすのと同時に)人と人との結びつきをより強くする力がある。このテクノロジーは、世界を変える力を持っているのだ」
「究極の感情移入」を求めて
この100年、観客はスクリーン(あるいはディスプレイ)によって、あくまで外部の他者として映像作品に関わってきた――いや、正確にいえば、スクリーンによって隔てられて関わることができなかった。
映像作家たちは、さまざまな工夫をこらして観客の感情移入をはかった。
映画の創成期に人物の顔をスクリーンいっぱいに映すクローズアップを発明した監督D・W・グリフィスは、俳優の表情を克明に見せることによって感情を読み取らせようとした。
2013年にカンヌ国際映画祭のパルムドール(最高賞)を受賞した『アデル、ブルーは熱い色』は、クローズアップを全編にわたって多用して、この効果を執拗なまでに追求した作品だった。
僕が、この地上で最も愛する映画だ。
ふたりの女性が情熱的で切ない恋愛をくりひろげる衝撃的な作品だったが、クローズアップの多様で喜怒哀楽を激しく描写し、観客は(というか僕は)恋が実ったり、危うくなったり、ついにダメになったりするとき、自分のことのように心を揺さぶられたものだ。
あるいは、フランスで1960年代に盛り上がった「新しい映画」を求める運動「ヌーヴェルヴァーグ」の一翼を担った監督フランソワ・トリュフォーは、デビュー作『大人は判ってくれない』(1959)で、不良の烙印を押された少年が感化院をぬけ出して海辺まで走り、ついにそこから先に行けなくなったとき、振り向いてカメラを――スクリーンのこちら側の観客をまっすぐ見つめるという演出をした。
スクリーンの「こっち」と「あっち」という越えがたい壁を越え、関係性を生み出す工夫が、行われてきたのである。それは、映画のストーリーをもっと切実に感じてほしいと作家たちが考えるからだ。
心を揺さぶり、感動を与えること、それが作家たちの欲求なのだ。
クリス・ミルクは、その欲求を満たすために――映像によるストーリーテリングを進化させるために、VRを活用するのである。